「カラオケエレキ合戦」~Return To Forever (チックコリア) のアルバム『浪漫の騎士』より 

村山義光氏がギターを弾き始めてから現在に至るまで、コレといったた経歴や勲章が有りませんが、唯一、16歳の時(1978年頃?)に大阪は心斎橋の三木楽器で行なわれた「カラオケエレキ合戦」とうものに出演して優勝した事くらいでしょうか… カラオケって!笑。

当時の様子が垣間見れますね…

タイトルはカラオケですが、実際はレコード音源をカセットテープに録音したものをバックで流しながら、完コピ度合いを競うといものだったそうです。

合戦の参加者は、村山君(当時)以外は全てロック(Led Zeppelin、Deep Purple、Rainbow、他)の中、だいぶ周囲の色合いと違う Return To Forever (チックコリア) のアルバム『浪漫の騎士』より「道化と暴君の決闘 パート2」後半部分 5:55~ 最後までのギタリストAl Di Meola の丸コピで挑んだようです。

これって、やはり難しいのでしょうね?
無知ですみません。
速弾きだという事だけは分かります…笑

Return to Forever - Duel of the Jester & the Tyrant (Romantic Warrior)

http://youtu.be/sa21WPH4_U4

審査員。。ハルヲホン(当時)というバンドの小林克己というギタリストと、g村山義光少年

村山義光さんが16歳の時(1978年頃?)に大阪は心斎橋の三木楽器で行なわれた「カラオケエレキ合戦」とうものに出演した時の写真だそうです。右側のロン毛が村山さんですね。笑。

左側の方もロン毛ですが、実は審査員です。
ハルヲホン(当時)というバンドの小林克己というギタリストです。
この頃、教則本やレコードを沢山出していて、当時のギタークリニック等でも絶大な人気があったそうです。

村山さんは、まさにこの10代の頃って、あえて難しいものに挑んでスキルアップをしていく時期だったようで、まさに「弾ける気にならないような感じ」をわざわざ選んでいたそうです。笑。

練習したいけど新聞配達のバイトとかに追われる中、練習時間を作るにはどうしたらよいか?となるわけですが「寝えへんかったらええねん」となるわけで、お金が無かったら「食べへんかったらええねん」「借金したらええねん」(普通、簡単ではないけど。笑汗) 毎日10時間?13時間?どっちやったかな?以上を練習をしてきたそうです。

決して楽しさだけではなく、自らのストレスになるような課題を持って『養成ギプス』を付けての訓練が貯えとなり、今の形を成しているようです。

色々な過程を経て、今では唯一無二な世界観を持って、即興で創り上げるスタイルで、楽器のセッティング、弦の選択や弾き方、他モロモロに関しても現在も進行中であるようです。

やっぱり『おもろい』からやっているのでしょうけれど、村山さんの『おもろい』の次元は凡的ではないように思えます。

『ジャズは根性です!』 by 村山義光

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[ 2014/12/10 00:10 ] 僕ちゃん、むらやまよしみつ君 | トラックバック(-) | コメント(-)

2013年おけましておめでとうございます 

皆様、2013年おけましておめでとうございます!
今年もジャズギタリスト村山義光は、幼い頃と全く変らず好奇心旺盛のまま、
勢い止まらず、チャレンジし続けます。
だって楽しくて仕方ないから、どうしても止まれないんです。笑。
よろしくお願いいたします~~!!!


幼少の頃のg村山よしみつ君

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[ 2013/01/02 16:43 ] 僕ちゃん、むらやまよしみつ君 | トラックバック(-) | コメント(-)

『僕ちゃん、むらやまよしみつ君』~vol.4 ★ワガママ?な(笑)村山義光君 

『僕ちゃん、むらやまよしみつ君』~vol.4

Youtubeの村山義光氏の演奏を観て知って頂いたある若いジャズギタリストのかたと知り合いました。
そのかたからの質問で、
「モチベーションの持ち方や、音楽稼動することに至るまで」
を村山氏自身のことを、村山氏自身がお伝えした言葉の一部です。
興味のあるかたは、読んで下さいませ。
村山義光って、ワガママ?笑。
・・・g村山義光ブログ管理人ローリー。
村山義光少年え

幼少の頃にエレクトーンを習い、10才でギターに転向し、中学2年生の頃に
ギター、音楽で食べていく。と何の迷いもなく今まで生きてきました。
なので、もともと行きたくなかった工業高校も中退し、(家が貧しかったため、音楽専門学校にもいけず。)
ほぼ独学で音楽の勉強?遊び?を覚えました。現在進行形。

中学生から35歳まで新聞配達のアルバイト(月給8万円ほど。昇給なし。)で生活しながら、
パチンコ、ギャンブルで稼ぎながら(しかし大損もこき、多額の謝金も抱えながら。。涙。)
いつの間にやら、家族や友人関係に迷惑をかけながら、助けてもらいながら 
音楽に没頭した結果が現在の自分のギター演奏、環境となっております。
これからも変化し、上手くなり続けたいと思っております。

今のギターになるまで、何の代償もなく、金銭的リスクや、
人間関係リスクを負わずして手に入ったモノはありません。
おそらくこれからも、リスクを負いながらの音楽人生になると思います。
要ってみれば、人生投げ打って音楽に費やした結果が現在となっております。

生徒が多くいるレッスンプロでもありませんし、
望まれない環境や、意に染まない要望に奮闘する事は、しておらず、
双方向の利害関係が一致するモノだけを受けさせて頂き、
わずかながら、望んでもらえているであろう、聞き手へ発信させてもらっています。

そんな、ややこしい主張を通してまでも、即興演奏だけで貫こうと企んでいますので、
生きていく事がバクチになっている訳ですね~笑

とりあえず今の音楽活動状況を有り難く楽しく「今」を過ごしております。


具体的にどのようなギタリスト、お仕事をされたいかたか、分りませんが、
商業的なギタリストを目指されるならば、私のようなギター、音楽の経験談やアドバイスでは参考にならないと思いますので、
こんな私に ご質問して頂いたのに適切な回答が出来なくて、大変申し訳なく思います。

ちなみに、私が10代~20代前半の頃は、ギターの練習を毎日、寝る時間を削って15~16時間しておりました。
ウォークマンを聴きながら新聞配達しておりました。
週に1日の休日は、今のようにYotubeとかもありませんでしたので、
現在よりも昔は多くあったジャズ喫茶で流れるレコードを閉店時間まで終日聴かせて頂いておりました。
また、飯代を削り、借金してレコードやCDを買って何度も何度も聴き倒しました。


「ジャズギタリスト」を目指され、現在、演奏されているのでしたら、
ジャズのスタンダード曲のメモリーを増やされ、ジャズミュージシャンとセッションを続けておられる状態かと思いますが、
もう少し具体的な質問をして頂ければ、回答出来るかと思います。

「ギター」「音楽」「ジャズ」を「超アホほど好き」になっていれば、
何もかも投げ打って没頭し続け、
自宅にしてもライブ会場にしても 演奏に時間を費やすことになれば、
自ずとギターのレベルがあがるのではないかと思います。
モチベーションは意識して持つものではなく、どれだけ「好きか?」によると思います。

・・・g村山義光
[ 2011/06/15 20:48 ] 僕ちゃん、むらやまよしみつ君 | トラックバック(-) | コメント(-)

S40年代初期の義光くん(5才?)フィルム動画 

『僕ちゃん、むらやまよしみつ君』~vol.3

昭和40年代初期の義光くん(5才?)動画。フィルム撮影だとか。
幼い頃の村山義光くん。後ろまわり何回転も出来たんやで~ 笑。

一緒に映っているのは従兄妹と そのお父さん。
義光くんは小さい頃から運動神経がよかったみたい 。後ろまわり30回以上まわってたらしい。笑!
っていうか、チョロチョロ動き回ってしまうのは、今もずっと変わらず?笑。
従兄妹のお父さん撮影。途中、義光くん撮影。
昭和の大阪市西成の町。生まれ育ちました。
村山義光氏本人から映像提供。
[ 2010/01/18 02:50 ] 僕ちゃん、むらやまよしみつ君 | トラックバック(-) | コメント(-)

連載シリーズ・『僕ちゃん、むらやまよしみつ君』~Vol.2 

『僕ちゃん、むらやまよしみつ君』~Vol.2

よしみつ君は、中学生ん時から新聞配達をしてたんやで。34歳まで。長かったやろ~。
新聞配達と言っても、普通に、一般宅に1部ずつ配達するんちゃうで。
自転車の前後の荷台に積めるだけ積んで、配達所から配達所へ運ぶんや。
新聞のかたまりは、全部で数十キロを越えるんや。

当時、天下茶屋の文化住宅に住んでた よしみつ君。夕方は大好きなライブをして、夜中過ぎまでミュージシャンの先輩、音楽仲間と語り合い、そのまま寝ずに自宅近所の配達所に行き、大阪堂島にある配達所までを 重い重い新聞のかたまりを自転車に乗せて、雨の日も風の日も、盆も正月もクリスマスの日も、月1日だけの定休日以外、毎日運んでたんや。

どんな日でも 南方面の天下茶屋から北方面の堂島まで、自転車をこいで新聞のかたまりを運ぶんや。
知ってるかな?堂島の交差点の信号待ちにしてまうと、すんごい坂道発進になってまうってこと。
勢い付けて(どうやって?)自転車をこぐ出すんや。転倒してもうたら、ごっつい大変!
苦労して積んだ新聞は雨に濡れるわで、もう泣きたくなるんやで。
でもな、そんな時、「世の中捨てたもんじゃあないんや。」って思える瞬間になるんやって。
交差点にいた人達が サーっと走り寄って来てくれて、ちゃ~んと拾ってくれるんです。
寒い日も少し温まる瞬間。


若い頃から お風呂に入るのは面倒臭がり屋のよしみつ君。
ある豪雨の日、もちろん新聞屋さんに出勤する よしみつ君は、家を出る前に シャンプーを頭から、結構な量をかぶって、ご出勤。カッパも着ずに雨に打たれて、ほど良い?泡立ちで綺麗になった?みたい。道行く人にも 珍しがって緩んでもらえました。笑。
よしみつ君、この頃から発想が斬新でした。アドリブ、オリジナルです。


小さい頃から手先も起用だったし、運動神経もバリバリやったんやって。背は少々おチビちゃんやったけど、力持ちやった よしみつ君。
新聞の折込チラシだって、新聞の間に挟むのは超速かったんやって。人の3倍も仕事が速く丁寧やし。そう!超絶です。
新人の教育係りやって、決まって よしみつ君に任せられてた。

お給料?月給で頂いてましたよ。確か・・・9万円。安っ!それが10数年、何故か?お給料上げてもらわれへんかったんすよ。よしみつ君よりも高いお給料をもらっていた、仕事の遅い従業員もいたんやけどね。
普通、納得いかんよな~。でもね、よしみつ君は
「この人は、誠意いっぱいやっての成果なんや。表面的な結果が全てではない。」
と思うようになったら、なんだか妙に納得してまいました。
「人間、いっぱいいっぱい やっている事に意義がある。意味がある。」
と思い始めた頃でしょか?


「900円ご馳走してもらう」のと、「1万円ご馳走してもらう」
「1万円」と「900円」。皆さんは、どっちの人をどう思う?どう見る?
実は、全財産1,000円しか持ってない人が 900円ご馳走してたり、財産1,000万円も持っている人から1万円ご馳走してたりする。みたいな・・・。

歌や、楽器をする人達。 その一人一人の「精一杯」を よしみつ君は常に見ています。
そして、よしみつ君も「いっぱいいっぱい」に演奏し続け、生きている。
g村山義光サンタ
明日は、クリスマス・イブ。世の中はキラびやかなイルミネーションとかで綺麗でしょうね。そんな中、いろんなスタイルで、いろんなペースで「いっぱいいっぱい」生きている人達がいます。
一人一人が「精一杯」生きています。
予定調和な臭いセリフやけど、そんな人達に「メリー・クリスマス!」

村山義光氏の会話から抜粋して書かせて頂きました。
・・・管理人ローリー。


[ 2008/12/23 22:53 ] 僕ちゃん、むらやまよしみつ君 | トラックバック(-) | コメント(-)

連載シリーズ・『僕ちゃん、むらやまよしみつ君』~Vol.1 

『僕ちゃん、むらやまよしみつ君』~Vol.1

1962年、むらやまよしみつ君は大阪市内西成区某所に生まれ育ちました。
いつの日からだか覚えてませんが、お家では常に洋楽のレコードがかかっていて、常に音楽が流れていました。お家が貧しかったので、よしみつ君の遊び道具と言えばレコードしかなかったのです。それを1日15~16時間聴いてたんです。ビートルズとか、当時、流行っていた洋楽の曲です。お母さんが好きだったわけではなく、どうやら親戚のお兄ちゃんが持っていたレコードのお下がりを聴いていたそうです。
レコードのプレーヤーはLPレコードをのせたらプレーヤー機器から はみ出るヤツですわ。フタが閉めれないヤツ。よしみつ君、時にはレコードを逆回転させて聴いて遊んでいました。
こんな遊びを結構ず~っとしてきたそうです。

小学校に入学します。休み時間になると運動場では男の子が野球とかして遊びます。女の子がは教室にある「足踏みオルガン」に5~6人が群がり「はい!交代!」「はい!交代!」って具合で10分休憩のわずかな時間を皆で順番ずつ弾いていきます。その中に、よしみつ君も入ってました。男の子はよしみつ君だけ。ピアノを習っている女の子から弾き方を教わりました。まず覚えたのは「猫ふんじゃった」。定番ですよね。その「猫ふんじゃった」に もう一人加わり、別のメロディーでアンサンブルもします。しかも よしみつ君は早弾きです。

ある日、よしみつ君はお父さんの車で大阪の日本橋にある楽器屋さんへ電子オルガンを一緒に買いに連れてってもらえます。
お店は現在ライブハウス【ミュージッククラフト】のある「音楽ビル」の辺りだったはず。当時、難波にはまだ三木楽器とかはなかったのです。KAWAIの電子オルガンをお父さんの車に積んでお家に帰りました。荷台にはみ出た状態でお家に到着。しかし車の後ろのガラスが割れてました。あちゃ!走っている最中、振動で電子オルガンがガラスにあたって割れちゃったんですね。でもね、よしみつ君は嬉しーて嬉しーてたまらんかったそうです。きっとそんな よしみつ君の嬉しそうな姿を見ていたお父さんお母さんも凄く嬉しかったに違いありません。

6歳のよしみつ君はKAWAIのオルガン教室に通います。そして「女の子はピアノ。男の子はエレクトーン。」と わけの分からないKAWAI音楽教室の先生の勧めでお父さんお母さんは「KAWAIの陰謀」にまんまとハマッてしまい(笑)、よしみつ君はエレクトーンを買ってもらえることになります。
当時、よしみつ君は4畳半と2畳の長屋文化住宅に住んでいました。2畳の部屋にエレクトーンを置いてもらい、嬉しくてよく練習していました。
当時のエレクトーンというのは木で出来ており、現在のスタイリッシュでオシャレなエレクトーンとはエライ違います。右足部分はボリュームペダルがあるのですが、そのペダルの奥はちょっとした空洞になっています。
ある日、いつものように、よしみつ君はエレクトーンを練習していました。突然、右足の先に何やらモゾモゾする感触が!「なんかな~?」って見てみたら、手のひらサイズの大っきなクモ!!! よしみつ君「ぎゃ~!!!」って叫びながら、裸足のまま近くの公園まで猛ダッシュ!クモから逃げてきたつもりだったけど、よう考えたら公園のほうが、いろんな生物がいそうだった。と後から気が付きます。「だから文化住宅には住みたくないっちゅうねん!」って大人になるまでず~っと思い続けていました。
そう、よしみつ君は大っきなクモが大キライ。大人になった?現在も大キライでも音楽は生まれた頃から既に大好きだったみたいです。


次回の「僕ちゃん、むらやまよしみつ君」は、いよいよ大好きなお父さんに、大好きになるギターを買ってもらうお話しです。にしようと思いましたが、あまりにも展開が早いと連載がすぐに終わってしまうのではないか。と僕は村山義光氏と相談して、幼児期の「むらやまよしみつ君」をもう少し引っ張っていくことにしました。
次回はどんなお話かな~?・・・。僕も楽しみです。
・・・・・続く・・・・・

※ 文章上、失礼な表現がありましたらお許し下さい。・・・管理人ローリー。
[ 2007/02/14 16:57 ] 僕ちゃん、むらやまよしみつ君 | トラックバック(-) | CM(3)