「強い」人が「弱い」人に優しく 

念のため・・・僕ローリーの独り言です。

世の中、生きていくため、なるべく楽しく生活していくため、お世辞を言ったりウソをついたり陰口を言ってストレス発散したりして自分なりに精神的にも環境的にもバランスを取りながら なんとか生きていってる人はいるでしょう。僕もそうです。
無意識に人に流され、物事に流され「そういうものだ。」と自分に言いきかしながらの生き方も有り。常に自問自答しながら「鬱状態」の生き方も有り。僕もアホなりにいろいろ考えながら生きていますが。(生かされている?)  考えても答えが出てくるはずがないだろうと思われることを考えるのもいい加減止めることが出来たら、今より能天気で楽しく暮らせるんだろう。なあんて思うことも多々あります。でもこれって自分にとってホンマに「幸せ」な生き方なんかな?と疑問でもあります。

反対に一つのことに一生懸命になるっちゅうことは、人とぶつかり合うことに繋がってしまうものですね。なるべく自分のまわりだけでも波風立たないように生きていくか?何かを目指すために、何かを守るために波でも風でも嵐でも立ち向かって生きていくか?それは人それぞれ「人の勝手でしょ~」になりますが。

別に支配者になりたいわけではない。なれるわけでもないですが、「強い」とされる人は、「弱い」とされる人に より優しくしていけたなら、もしかして「強い」人は今より幸せを感じたり与えてもらったり、小さなことでも感謝を感じるんだろう。

で、例えば、無知は「悪」か「善」か?空気をよめない人は「悪」か「善」か?これを「弱い」とされる人と認識して、優しく接っすることが出来たならきっと自分や人の幸せにつがるかもしれないと思う。いや、思うようにしたい。きっとそうに違いない?

お金持ちを「強い」人。お金のない人を「弱い」人ということにして、前に述べたことを皆が実行出来たら「平和」に繋がるんだろうね。
村山義光氏は僕からみると「お金のない人」です。いや、金銭感覚が全くと言っていいくらい「社会的に弱い人」と捉えています。でもそれ以上に村山氏は人に優しくする「強い」人であります。でも実は反対にそんな村山氏を今まで、支える優しい「強い」人達が側にいたから(現在も)。そんな人達からの優しさを凄く感謝して、村山氏自身も幸せを感じることが出来ているから村山氏は人に優しく出来ているのかも?と僕は勝手に思っております。でもなんかこんなようなことを村山氏は話してはったように記憶しています。
一番重要なのは、人は人に優しくされてそれに気付いているか?感謝出来ているか?であって、それをまた何かしらに還元しているか?ではないかと思う。

村山義光氏が初めて行くライブハウスのオーナーやスタッフ、共演者は村山氏と接してみて数分で和んでいます。そこに居合わせた皆の笑顔がこぼれているんです。僕は毎回その場でそう感じる。「人に優しく出来る人には 自然に人が寄ってくるもんなんやな~。」と強く思う瞬間でもあります。
僕?ヤバイです。このままだと一人ぼっちになってしまいます。
僕は「弱」も「強」どっちをたくさん持っているんやろ?大半の人達は両方共、持ってはったりするんかな。 表に出ているかいないか、装っているかいないかの差だけかも。

「優しい強い人」。なれるかどうか死ぬまで続く永遠の難しいテーマであります。でも自分の幸せにも繋がること。そんな人になって人と交流しようと思うのである。出来るかな・・・努力しよう。
・・・管理人ローリー。
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[ 2007/11/10 16:28 ] ローリー日記 | トラックバック(-) | CM(0)

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