LIVEレポ・2009年1月24日(土)13:30~【住吉区民センター】にてジョイフルコンサート 

LIVEレポ・2009年1月24日(土)13:30~【住吉区民センター大ホール】にてジョイフルコンサートに行ってきました。

この数日前に、村山義光氏と共に大阪府立視覚支援学校にお伺いする機会を設けて頂きまして、その時に教頭先生に学校の説明、見学案内を凄く丁寧にして頂きました。このジョイフルコンサートの案内も頂きました。
このようなコンサートを聴きに行くのは初めてでありました。まず、新しくて立派なホールでビックリ。
視覚支援学校のすぐ近所でもあります。900人くらい収容出来る大ホールでした。会場内は ほぼ満席であったのにもビックリ。
入場料500円。スタッフは大阪府立視覚支援学校の職員の方々、ボランティアの方々。
おそらく、支援学校の生徒さん、視覚障害者のかた、そのご家族、知人関係が多く聴きに来られていたかと思われます。

音楽を専攻されている生徒さんの合唱。ゲストで呼ばれて演奏されたかた、声楽関係とピアノ、クラリネットが多かったです。弦楽器は なかったですね。ボランティアで出演されているであろう音楽家もおられたはずです。おそらく大半がそうに違いない。

いろんな編成で2セットに渡り、全部で2時間半くらいの演奏を聴くことが出来ました。
全部クラシックなので、マイクなんて通してませんでした。。そしてクラシックをほとんど聴いてこなかった僕には、音楽的レベルもよく分からなかったですが、「なんか皆さん上手い!」と思ったのでした。

皆さん、静かに聴かれていたので、僕も演奏に集中して聴くことが出来ました。
クワイヤチャイムというベルを使っての演奏が皆さん、気に入られていて、一番反応されていました。
クワイヤチャイムは数人がベルを持って一緒に演奏します。音数が多いのではなく、絶妙な「間」というのでしょうか。綺麗な音が感動、反応させるのかもしれません。
【住吉区民センター】【住吉区民センター】ジョンフルコンサート
僕の近くには視覚障害を持つかたはいないのですが、「見えない世界」での「音」は、きっと情報源の大半をしめるだろうし、心地よさも悪さも、健常者よりも感じ方が凄く差があるに違いないと正直、勝手な思い込みも抱きながら聴きに行かせて頂きました。
おそらく、音に関して、音楽に関して、良い意味で厳しい耳をお持ちではないか?と本日のコンサートを聴かせて頂いて思いました。演奏者よりも聴き手の方々はどう感じているのか?の方に興味がありました。

帰りは、ロビーに展示してあったものの中から、「点字一覧表」を持って帰ってきました。
久し振りに触ったと思います。
うわ!こんな「点の集まり」で、理解出来るの?っていうか、これを覚えたり、点字を打って伝えたりするって、凄い!

大阪府下では、このような公的な盲学校は2校しかないのです。しかも、この視覚支援学校の生徒の数は全体で100人いないのであります。他は、あんま士、鍼灸士を目指す成人の理学療法科の職業訓練校の生徒がおられます。
あんま、はり灸の臨床実習を一般にも公開されていて、それを利用されているかたが学校内に設置されている待合室におられたり。たまに臨床実習の相手として教員も参加されたり。

先天的、後天的な全盲のかたから、視覚弱者、これから視覚を失っていってしまうかた、知的障害者のかたも含め在籍されています。しかし、幼児教室から高等学部、専修学部まであるのですが、教室を覗いてみると ほとんど個人授業のようでした。集団でしか学べないことが欠けてしまうことが問題でもあるそうです。
校舎や、宿舎は凄く老朽化してしまっているのですが、大阪府下の小学校並みの規模の大きさ、広さであるのですが、それに比べて凄く生徒人数は少ないです。教員、(非常勤を含む)職員の人数の方が少し多いくらいであります。
それでも生徒の数では日本では第3位。関西は特に「人権の尊重」が他府県と比べて浸透している理由からか?(おそらくそのように予想されるそうである。)、普通学校で受け入れる体制になっていっている現状だそうです。ということから盲学校は閉校されていく傾向となっています。淡路島にも1校あるそうですが、生徒は1人。その生徒が卒業されると閉校となるそうです。
もし僕が障害を持つ子の親だったら・・・普通学校に通わせたい。と思うのかな・・・。

視覚障害者にしても、いわゆる「障害者のかたは、我々の先輩である。」ということを知人から聞いて、今更ながら、目から鱗でした。我々も他人ごとではないのであります。
ジョンフルコンサートジョンフルコンサートジョンフルコンサート
暮らしやすい社会にすることが、一番必要とされるボランティアであるとも思います。
「自己満足」を否定するわけではありません。
誰もが考えたことがあると思いますが、ボランティアをする切欠が「自己満足のため」であってもなくても、自己満足に終わらないことも ひとつの重大な課題なのかも知れない。
不景気である世の中、その中でも平成18(2006)年4月に「障害者自立支援法」が設定されてしまった現状。その中で、このようなコンサートは心豊かになる瞬間であったに違いなかったと思うひと時でした。そして僕にとっても再び考えさせられるひと時でもありました。


健常者同士のコミュニケーションでも、良かれと思って、信じて自分が行動しても、実はそれを相手が「受けてあげている。」状態かもしれないってこと。
実は自分が相手に押し付けてしまっていただけとか。相手に「うん」と言わせている自分が、そんな空気を出していただけなんだ。「押し付けな自己満足」になっていたということを自分が気付かねばならない時があるに違いない。
特に日本はそんな人種が多いと思われます。強引で厚かましい人に、「やられてしまってあげてる」状態を良くも悪くも よく拝見できます。
視覚障害者用器具展示視覚障害者用器具展示視覚障害者用器具展示
話が凄く脱線というか、ちょっと違う方向へ行きましたが、このようなコンサートを聴きに行ったり、いろんなかたと触れ合ったり、知ったりするのは、これからの自分の人生において影響、関わりが全くないわけではないことに気付かせてくれます。

このレポートを書くこと事態、「押し付けな自己満足」の一つであり、自分の浅ましい部分であることは否定出来ないです。
僕はギタリスト村山義光のそばにいて、そして村山氏自身も
「村山義光の音は、演奏は、健常者にしても、障害者にしても、人の人生の喜び、心地よさ、感動の一部になるのだろうか?」と 自分勝手な疑問、思いを未だに持ち続けています。
押し付けな音楽になっていないだろうか?

音楽的テクニック、理論的な問題だけではない、常に人間性、人生観を追及していき、第三者に問われたり、自分に問いたりし続けることも「音」に関わるものなのかも知れない。
「うん」と言わせることではない。自分で解決、納得して終わることではないように思います。また更に自問自答していく毎日でいるだろうし、し続けて行きたいと思いました。
・・・管理人ローリー。
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[ 2009/01/25 13:34 ] ライブレポート | トラックバック(-) | コメント(-)