『ジャズボーカリストについて』 と『違和感』・・ Pパクヨンセさんのブログから 

凄く目から鱗。。。ころころ。。。
未だに素人リスナーの私にとって、とても興味深く、説得力のある、理解しやすく、
それでいて面白いネタであり、的をついた記事を拝見いたしました。

ピアニスト パクヨンセさんのブログの記事から。
(ご本人から記事掲載の了解を得ております。)
・・・管理人ローリー。



記事その1『ジャズボーカリストについて』

ライブやセッションでたくさんのジャズボーカリストといっしょに演奏します。歌の伴奏は基本的に大好きです。ぼくは歌ができないから今までピアノやベースやサックスをやってきたのだ、と思っています。もっとも歌の練習をきちんとしたことはないのですが。

ジャズボーカリストという職業は実にあやしい。ジャズ界で一番すごいのはやはりボーカリストであり、同時に一番だめなのもボーカリストだと言えるかもしれません。

世界のトップ層は言うまでもなく、ヘレン・ヒュームズ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ボーン、現役ではダイアナ・クラール(ピアニストとしても素晴らしいです)やダイアン・リーブズなどなど、実に素晴らしい歌手がたくさんいます。はっきりいって、一流のサックス奏者でもこの人たちが歌えばかないっこありません。誰もが黙ってしまう。それが超一流の魅力と言えるでしょう。

しかしながらもちろん一流でない人もたくさんいます。これは技術や歌の問題ではありません。何をどうしたいか、全くわからないジャズボーカリストのことです。この手の人が実に多い。一部のプロでもアマチュアの人でも楽器の人に比べて歌の人は何がやりたいのかわからない。

まず平気で「私コードとか知りません」とおっしゃる。その次は「スケールなんかわかるわけない」。さらに「ピアノとかベースとかドラムとか何もわからないから全ておまかせします」とくる。今までで一番ひどかったのは「私何も決めずにやるのが好きなんです。勝手にテンポ出してください」でした。「何も決めない」ということが音楽的な理由ではなくただの手段や嗜好になってしまったらそれはもう音楽ではなく、かりに音楽であったとしても人前で金をとってやるべきものではないのです。後からわかったことですが、彼女は師匠の話を曲解していたようでした。

ジャズボーカルをやる上でコードやスケールを知っておくこと、ピアノやベースやドラムなど他の楽器の特性を知っておくことは決して無駄ではないと思います。それどころかきわめて有益でしょう。もちろん過去の一流の天才ミュージシャンには楽譜は読めない理論も何も知らない他の楽器のことも知らないという人が確かにいます。しかし、だからといって知らなくていいということにはならないでのす。その天才は「知らないからすごい」のではなく「知らなくてもすごかった」のですから。

もっとも問題なのは「主体的」でないことでしょう。ほとんどの場合、ジャズボーカルは一人ではできません。共演者がいます。共演者、言い方を変えれば伴奏者に何を求めるか。「何を求めるんですか」と言われて一言で即答できるジャズボーカリストが何人いるでしょうか。楽器奏者では当たり前の「自分でアレンジ」をしてくる人が何人いるでしょうか。最低限必要なジャズ理論を理解している人が何人いるでしょうか。

一方で楽器奏者にも問題があります。なぜか「歌伴かよ、いやだなあ」などと言う人が多い。歌の伴奏ができなくて一体何ができるというのでしょうか。そういう態度はすぐにわかります。そしてボーカルさんにすぐに伝わります。ボーカルさんは一人では何もできない。楽器奏者はボーカルさんがいなくてもなんとかなる。だからボーカルさんは「伴奏してもらってる」と考えてしまうし、楽器奏者は「伴奏してやっている」と考えてしまう。これはアマチュアの人のセッションに行くと顕著に見られる傾向です。ボーカルさんがペコペコして「すいませんすいませんおねがいします」なんて言ってる。それを聞いて楽器の人は「仕方ねえなあ」なんて顔をしている。何がすいませんなのか。何が仕方ないのか。実に歪。実に醜い。

ボーカリストはある程度美人でなければやっていけないと言われます。ポップスやロックに比べればまだましですが、ジャズでもそういう傾向はあります。確かに若い女性のボーカリスト目当てで来られるお客さんも多い。彼女たちは必死ですからお客さんに懸命に話を持ちかけます。生活がかかってますし、ライブには毎回来てほしいですから。そしてお客さんもうれしい。キャバクラに行くよりは安いですから。音楽も聴けて酒も飲めて若い女の子が笑顔で相手してくれて5000円ですむ。

このような、ジャズボーカリストがホステスになっている状態はよく批判されます(言うまでもありませんがホステスという仕事が悪いのではありません)。ぼくもよくないと思いつつも、これを打破する方法はぼくは知りません。提示してくれた人もいません。
でもひとつだけ言える。優れたジャズボーカルはスケベなお客さんも音楽目的でないお客さんも一発で黙らせて感動させることのできる可能性が一番高いものです。
動機は何であろうがお客さんはお客さん。いいお客さんもいれば悪いお客さんもいます。でも来てくれただけでやっぱりうれしい。来てくれたからには音楽で感動して帰ってほしい。この心意気がほしい。そしてそのためには何をどうやって構成すればいいか、何をどうやって練習すればいいか、何をどうやって共演者に伝えればいいか、考えることのできるジャズボーカリストであってほしい。

オリジナルから転調された譜面を渡して、おきまりの八小節のイントロ、ワンコーラスボーカル、ピアノソロ、ベースソロ半分、ボーカル半分、お決まりのエンディング。これが悪いわけじゃありませんが、たまには違うことをやりましょう。そしてその「違うこと」は自分で考えましょう。「コード知りません」「スケール知りません」「何もわかりません」「他の楽器のことなんてわかりません」「MCの内容なんて決めていません」ということがかっこいい・言い訳になるというのは中学生の発想です。そして中学生がお金をもらって、夜ステージに立つことは法律で禁止されています。ね。


記事その2『違和感』


違和感を抱くことがあります。某さんとしゃべっているとき・・・



某「関西の●●さんってすごいよね」
ぼく「そうですね」
某「あんなふうになるのが最終目標だわ」
ぼく「でもキース・ジャレットよりはかなり下手ですよね」
某「そこは比べるところじゃないやん」
ぼく「え?」



まあぼくは本当はもう少しやわらかい言い方をしていますが、
「そこは比べるところではない」
これ、非常によく言われます。

何がどう比べられないのでしょうか???
いつも疑問なのです。

世界のトップと比較せずして誰と何を比較するのでしょう。

比較対象からはずしている時点でもう●●さんに失礼ではないでしょうか。

確かにクラシックの評論ではよく言われます。
「朝比奈隆のブルックナーは日本食だ」、と。
日本人向けにわかりやすくつくられたブルックナーだ、と。
だからチェリビダッケやカラヤンとは比べられない、と。

言うまでもなくこれは朝比奈隆を非難するためのレトリックです。
これと同じ論法を某さんは使っているように思えてならない。しかもなぜか逆の意味で。

いつもいつも世界のトップを意識して練習する。最先端でいようとする。パソコン関係、デザイナー、陸上選手、野球、水泳、企業、技術者・・・そういう人は非常に多いと思います。なぜかジャズ関係にはそういう人が少ない。少ない、というかこのあたり(大阪)では会ったことがありません。

ほどほどでいいのならジャズなどをやる必要はないのだと思います。好きなことを好きなようにやりたいのならプロを名乗る資格はありません。

もちろん何を持って世界のトップとするか、これは難しい話です。しかし少なくとも志を高く持つ、これは基本中の基本だと考えています。

関西のライブハウスはもちろん宣伝しますから出演ミュージシャンを「天才」「ジャズの真髄」なんて表現したりします。しかし現実はぼくも含めて全く違います。天才でもなければジャズの真髄からも程遠い。日本のトップ層ですらアメリカに行けば全く通用しないのですから。指が動かないのに「味のあるフレーズ」、なんの抑揚もないのに「貫禄のある落ち着いた演奏」なんて言われても・・・モノは言いようですなあ。しかし宣伝とはそういうものです。それを鵜呑みにする「ミュージシャン」が問題なのです(お客さんではない)。

営業妨害をしたいわけではありません。それどころかまずここを認識しなければ関西のジャズシーンはそのうち消えてなくなるでしょう。スタンダードジャズハンドブック(この本はジャズ界に多大な貢献をしたと同時に多大な害悪をまきちらした)をたずさえた人たちが適当にセッションをするだけの店ばかりになるかもしれません。

建設的な批判が飛び交い、ともに音楽を追求できる場・・・こういうものを近いうちにセッティングしたいと考えています。


続き・・・
「くらべられない」論についての反論とは矛盾するようですが、ジャズ雑誌などでは「え?それを同列に??」ということが多々あります。

服で考えてみましょう。ユニクロの服とシャネルの服をいっしょに論じる人はあまりいません。雑誌もすみわけがなされています。
車で考えてみましょう。軽自動車とベンツを同列に扱ったりはしません。もちろんデザインや小回りなど軽自動車特有の利点はたくさんありますが、基本的には圧倒的な差があります。
料理ではどうでしょうか。お金持ちのおじさん用の雑誌に近所の安い定食屋が紹介されることはまずありません(ぼくはB級グルメが大好きですが)。

ところが、ジャズ系の雑誌ではどうでしょうか。
宣伝とは実にありがたいものです。同時に非常に恐ろしい。





以上、ピアニスト パクヨンセさんのブログの記事から。
(ご本人から記事掲載の了解を得ております。)

聴き手の僕には、計り知れない演奏家のお立場からの率直なご意見、現状を知ることが出来ました。
とても貴重だと思いました。
「建設的な批判」・・・特に日本では?いろんな理由であまり直接されないことであろうと思われますが、どんどんされることを願います。
生意気ではありますが、僕は、
「まがいもの」に惑わされない聴き手に、
余計なもので迫など付けていない音楽家、「芸術」を世界レベルにストイックに追求し取り組まれておられる音楽家が、
どうか理解、評価される世の中につながればとせつに願います。

パクさん、ありがとうございます。

・・・管理人ローリー。
ピアニスト・パクヨンセさんg村山義光氏

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[ 2009/12/31 01:59 ] 皆さんからの記事 | トラックバック(-) | コメント(-)