小説「momiji 夢をつかむノート」 

g村山義光のお弟子さんYabさんの妹の羽山裕浬さんが書かれた小説「momiji 夢をつかむノート」が昨年の春、文芸社から発売されました。

タイトルは「momiji 夢をつかむノート」
小説「momiji 夢をつかむノート」

   ※ 以下、Yabさんの日記をそのまま転載いたします。



内容はかつて彼女は縁あってイギリスで働き、そこから彼女の大好きな絵(天才やと私は思います!)を学ぶべく通った学校で出会ったグレイシーという先生との貴重な思い出を綴ったものです。

また、この本が発表される経緯の中にも、美しく本当に心暖まるエピソードもあり、それらの逸話が今後伝えられるかどうかは私はわかりません。

そして妹に頼まれ、私はイメージソングを作曲し、録音しました。全部で4曲。全てアコースティックギター2本の多重録音です。また、そのイメージソングを収めたCDは本に入っているアンケートに答えていただいた方に無料で送付させていただいております。

でも歌ってはいませんが、本当は全て私がその時の私の心情を綴った歌詞もあります。

それらの曲は実は私が、ある人に心を込めて作曲したものだからです。

なんか秘密だらけですが、妹が小説を発表した経緯、私がイメージソングを完成させた経緯には多分今後語られる事のないであろう埋もれたたくさんのドラマがありました。

妹が張り裂けそうな思いを胸に書いた小説、私が夜中の工場にて轟音を立てるボイラーの横で1音づつ魂を込めて、下手さも至らなさもさらけ出して録音した曲達も今現在は縁があり、たくさんの方々の手元にあります。

そして、数人の方々はインターネットにてAmazonのレビューに、妹の小説だけでなく私が作成したイメージソングの感想までをも書き込んでくれています。

それらを読ませていただき、本当に嬉しいのは、妹の情熱も私が見上げた空も、空気も景色も温度も、そういった全てを彼らは垣間見てくれているのを感じる事です。

私の下手な演奏も、数人の方々の心に届いています。

伝わっているんですよ!

やはり、動くべきですね!熱くたぎる魂は大声で叫ぶべきです!

自分は今を生きている!恥ずかしさもカッコ悪さもひっくるめて自分だからこその今を生きているんです!

もしご興味あれば、見てみて下さい。


momiji 夢をつかむノート (単行本(ソフトカバー))
羽山 裕浬 (著)
[ 2010/02/15 14:53 ] 皆さんからの記事 | トラックバック(-) | コメント(-)

愛読させて頂いているピアニストのパク・ヨンセさんのブログ  

愛読させて頂いているピアニストのパク・ヨンセさんのブログ記事です。
音源もあります。歌っているのは高原かな さん。いろんな場所でお名前を拝見いたします。
・・・管理人ローリー。
ピアニストのパク・ヨンセさんとg村山義光講師


成人式に暴れる若者

尊敬するミュージシャン

高槻ジャズストリート

よく聴く会話

音源
[ 2010/01/26 15:17 ] 皆さんからの記事 | トラックバック(-) | コメント(-)

愛読ブログ記事より 

すっかり愛読させて頂いているピアニスト パクヨンセさんのブログ
凄く目から鱗。。。ころころ。。。 記事です。
ピアニストのパク・ヨンセさんとg村山義光講師

グレン・ミラー物語

何がジャズか?

音楽は癒しか?


(ご本人から記事リンクの了解を得ております。)
・・・管理人ローリー。
[ 2010/01/16 01:00 ] 皆さんからの記事 | トラックバック(-) | コメント(-)

『道楽者と趣味人』 ・・・ぽむぽむさんより 

『道楽者と趣味人』

・・・アマチュアピアニストぽむぽむさんのあるコメント記事より


道楽者にはプロもアマも関係ありませんし、私もそうでありたいと願っています。
生活を気にせず、とことんのめり込めるのがお金持ちが多いというだけの話で、
私には《道楽者》は最上級の褒め言葉なんですよ。
そこまで好きになれるものがあるのは、幸せなことだから。
社会生活を大事にしたければ「趣味です」でいい訳で、
それは優先順位や個人の価値観の問題だから趣味が悪い訳では決してないと思います。
道楽は破滅への道でもあるし、
そこまで好きになれないなら無理して目指すべきでもないですよね。
(道楽に<頑張る>や<努力>は不要です)
ただ村山氏も含めた素晴らしい芸術家や、人間国宝、
またはノーベル賞受賞者などは、《好きでやった結果》の人が多いはずで、
私からしたら彼らは皆、素晴らしき道楽者なのです。


道楽で身を滅ぼす可能性はあるけれども、趣味で身は滅ぼさない。

何かを楽しむ為に他の生活をコントロール出来るのであれば、
それはどれだけ好きでも道楽ではなく趣味なのだと解釈していますが、
趣味から仕事になった人も居るから、優劣をつけれる問題ではないし、
結局のところ個人の性格に起因するところが多いのではないでしょうか?

ただ私にとっての道楽とは、全てを犠牲にしてもその道を楽しみ抜くことで、
間違っても【それでヒトヤマ当てよう】だとか【周りに迷惑をかけずに出来る範囲で】
だなんて考えもしない、または考えても我慢がきかないことだと思っています。
(それでお金を稼げるかどうかは結果論でなければいけません)

昔どこかのゲイノウジンの奥さんが、サルサダンスにはまりすぎて、
離婚してキューバに移住した話があったけれど、そういうレベルが道楽だと思います。

自分の出来る範囲で最大限の努力をして楽しむ趣味の方が、絶対に賢いですが、
コントロールのメーターが振り切れた時が道楽者への第一歩なんだと思います。

だから道楽者への道は遠く長く、孤立してしまう可能性も果てしなく高い。

個人的な観点ですが道楽者と趣味人の1番の違いは退廃か否か、だけだと思います。
だからお酒やギャンブルで身を滅ぼすタイプの人も道楽者と呼ばれます。
芸術や文化の話に戻れば、
作品の完成度については、趣味人と道楽者のどちらが劣ることはないと思います。
なぜなら画家の話になって恐縮ですが、家庭があり地位も名誉も財産も守りながら、
世俗的趣味も堪能したピカソやダリの様に素晴らしい作品を残した人も居るからです。
ただ生活を全て投げうった方が、世俗離れしてる分だけ、
芸術家としての成功は、統計的にはどうしても高くなると思いますし、
実際に家庭を守りつつ、財産まで残した芸術家は圧倒的に少ないです。
私は選びたくなくてもデカダン(退廃)的にしか生きれないタイプの人間です。
だからせめて道楽的に粋に生きたいと思うので書きました。
ただ迷いはいつもあるので、村山氏みたいに迷いなく(仮にあっても外に出さない様に)
生きてる道楽者を見ては、心底「ああなりたい」と思う次第でございます。

道楽者は《者》で、趣味人は《人》ですから、そういう観点からも
《人》として生きていけるので、趣味人は美しくも賢い選択だと思います。
《者》は、ならず者や馬鹿者などネガティブな言葉が多いですから。


・・・アマチュアピアニストぽむぽむさんのあるコメント記事より

ホットケーキ

ぽむぽむさんご本人の了解を得て、あるコメントから抜粋して掲載させて頂きました。

僕は今まで「道楽者」とは、お金持ち限定の世界のものだと思っておりました。
そう思われているのは、僕だけではないと思われますし、善悪関係ないこと。
「道楽=趣味」も一般的解釈というとも ぽむぽむさんもご承知のこと。

道楽なことを出来てしまっているかたがお金持ちのかたが多いのが結果論だけであって、
なかなか金銭面的に裕福でないかたが「道楽」をやっているかたが少ない現状であろうという理由で
お金持ち限定のイメージがあっても当然のようでもある。

僕が思うに、本人が「はい!道楽者です!」とか「趣味です。」とか思うのは個人の自由だと思います。
ちなみに僕は、未だに親スネかじり状態でライブに行ってる「この道楽者!」の道楽者です。
人に聞かれたら堂々と「道楽者です。なにか?」と答えます。笑。

僕的にも村山義光氏は、ぽむぽむさんのおっしゃるとおり「素晴らしき道楽者」に思います。そして素晴らしい「芸術家」であると。
で、村山氏本人自身は どっからどう見ても楽しんで音楽をしていらっしゃるように拝見いたします。
いや?人生そのものが楽しんで送っているように見える。
どう見ても、どう考えても 村山氏は金銭面的に「楽」ではないのに、
人が羨ましく、人に妬まれるほど「楽しんで」いらっしゃるように見えます。確かに楽しんでいはる。

でも村山義光氏の芸術性は、かなり音楽にのめり込み、身体的にも精神的にも
ある意味、自分をストイックに追い込まなければ、今の音楽芸術にはなっていないだろうと思って仕方ないんです。
そんな見えない影の部分を外に出さずして常に自分の道を楽しんでいる。楽しもうとしているのか?
これは音楽に関してだけではありません。日常生活においても垣間見ることが出来ます。
例えば熱が40度あっても、ことが終わるまで皆の前では、
体調が悪いことなど1ミリたりとも見せないで、その場を常に楽しい空気にさせてくれていることがあります。
人に気を使う行動言動から、村山義光氏は、そんな人でありながら
(これは僕や、僕の周り、村山氏の周りの人たちの目撃による解釈)
あるがゆえ?音楽という道楽人生を文字どおり楽しむことが出来ているのだろうか?とも思えます。

当の本人は「道楽者」とか「芸術家」とか「音楽家」とかのカテゴリーに全く意識ゼロなところが実に面白いです。
その価値観にふりまわされていないくらい音楽に没頭している村山義光氏。
(Hビデオを見ることが一番好きみたいですが。。。)
ぽむぽむさんや僕も含めたいわゆる村山氏の音楽が好きなお客様は、
村山義光氏の音楽を支持して下さっている理由の一つがそんなところにもあるようです。
人の性格とか、「芸術家」とか「音楽家」の肩書きやカテゴリー分けは、
本人自身が判断するものではなく第三者が自由に判断するものでもあることでしょうから。

ぽむぽむさんの記事により、人生の楽しみ方と、村山義光という芸術家を改めて発見したような感動を頂きました。
ぽむぽむさん、ありがとうございます。

・・・管理人ローリー。
[ 2010/01/01 19:14 ] 皆さんからの記事 | トラックバック(-) | コメント(-)

『ジャズボーカリストについて』 と『違和感』・・ Pパクヨンセさんのブログから 

凄く目から鱗。。。ころころ。。。
未だに素人リスナーの私にとって、とても興味深く、説得力のある、理解しやすく、
それでいて面白いネタであり、的をついた記事を拝見いたしました。

ピアニスト パクヨンセさんのブログの記事から。
(ご本人から記事掲載の了解を得ております。)
・・・管理人ローリー。



記事その1『ジャズボーカリストについて』

ライブやセッションでたくさんのジャズボーカリストといっしょに演奏します。歌の伴奏は基本的に大好きです。ぼくは歌ができないから今までピアノやベースやサックスをやってきたのだ、と思っています。もっとも歌の練習をきちんとしたことはないのですが。

ジャズボーカリストという職業は実にあやしい。ジャズ界で一番すごいのはやはりボーカリストであり、同時に一番だめなのもボーカリストだと言えるかもしれません。

世界のトップ層は言うまでもなく、ヘレン・ヒュームズ、エラ・フィッツジェラルド、サラ・ボーン、現役ではダイアナ・クラール(ピアニストとしても素晴らしいです)やダイアン・リーブズなどなど、実に素晴らしい歌手がたくさんいます。はっきりいって、一流のサックス奏者でもこの人たちが歌えばかないっこありません。誰もが黙ってしまう。それが超一流の魅力と言えるでしょう。

しかしながらもちろん一流でない人もたくさんいます。これは技術や歌の問題ではありません。何をどうしたいか、全くわからないジャズボーカリストのことです。この手の人が実に多い。一部のプロでもアマチュアの人でも楽器の人に比べて歌の人は何がやりたいのかわからない。

まず平気で「私コードとか知りません」とおっしゃる。その次は「スケールなんかわかるわけない」。さらに「ピアノとかベースとかドラムとか何もわからないから全ておまかせします」とくる。今までで一番ひどかったのは「私何も決めずにやるのが好きなんです。勝手にテンポ出してください」でした。「何も決めない」ということが音楽的な理由ではなくただの手段や嗜好になってしまったらそれはもう音楽ではなく、かりに音楽であったとしても人前で金をとってやるべきものではないのです。後からわかったことですが、彼女は師匠の話を曲解していたようでした。

ジャズボーカルをやる上でコードやスケールを知っておくこと、ピアノやベースやドラムなど他の楽器の特性を知っておくことは決して無駄ではないと思います。それどころかきわめて有益でしょう。もちろん過去の一流の天才ミュージシャンには楽譜は読めない理論も何も知らない他の楽器のことも知らないという人が確かにいます。しかし、だからといって知らなくていいということにはならないでのす。その天才は「知らないからすごい」のではなく「知らなくてもすごかった」のですから。

もっとも問題なのは「主体的」でないことでしょう。ほとんどの場合、ジャズボーカルは一人ではできません。共演者がいます。共演者、言い方を変えれば伴奏者に何を求めるか。「何を求めるんですか」と言われて一言で即答できるジャズボーカリストが何人いるでしょうか。楽器奏者では当たり前の「自分でアレンジ」をしてくる人が何人いるでしょうか。最低限必要なジャズ理論を理解している人が何人いるでしょうか。

一方で楽器奏者にも問題があります。なぜか「歌伴かよ、いやだなあ」などと言う人が多い。歌の伴奏ができなくて一体何ができるというのでしょうか。そういう態度はすぐにわかります。そしてボーカルさんにすぐに伝わります。ボーカルさんは一人では何もできない。楽器奏者はボーカルさんがいなくてもなんとかなる。だからボーカルさんは「伴奏してもらってる」と考えてしまうし、楽器奏者は「伴奏してやっている」と考えてしまう。これはアマチュアの人のセッションに行くと顕著に見られる傾向です。ボーカルさんがペコペコして「すいませんすいませんおねがいします」なんて言ってる。それを聞いて楽器の人は「仕方ねえなあ」なんて顔をしている。何がすいませんなのか。何が仕方ないのか。実に歪。実に醜い。

ボーカリストはある程度美人でなければやっていけないと言われます。ポップスやロックに比べればまだましですが、ジャズでもそういう傾向はあります。確かに若い女性のボーカリスト目当てで来られるお客さんも多い。彼女たちは必死ですからお客さんに懸命に話を持ちかけます。生活がかかってますし、ライブには毎回来てほしいですから。そしてお客さんもうれしい。キャバクラに行くよりは安いですから。音楽も聴けて酒も飲めて若い女の子が笑顔で相手してくれて5000円ですむ。

このような、ジャズボーカリストがホステスになっている状態はよく批判されます(言うまでもありませんがホステスという仕事が悪いのではありません)。ぼくもよくないと思いつつも、これを打破する方法はぼくは知りません。提示してくれた人もいません。
でもひとつだけ言える。優れたジャズボーカルはスケベなお客さんも音楽目的でないお客さんも一発で黙らせて感動させることのできる可能性が一番高いものです。
動機は何であろうがお客さんはお客さん。いいお客さんもいれば悪いお客さんもいます。でも来てくれただけでやっぱりうれしい。来てくれたからには音楽で感動して帰ってほしい。この心意気がほしい。そしてそのためには何をどうやって構成すればいいか、何をどうやって練習すればいいか、何をどうやって共演者に伝えればいいか、考えることのできるジャズボーカリストであってほしい。

オリジナルから転調された譜面を渡して、おきまりの八小節のイントロ、ワンコーラスボーカル、ピアノソロ、ベースソロ半分、ボーカル半分、お決まりのエンディング。これが悪いわけじゃありませんが、たまには違うことをやりましょう。そしてその「違うこと」は自分で考えましょう。「コード知りません」「スケール知りません」「何もわかりません」「他の楽器のことなんてわかりません」「MCの内容なんて決めていません」ということがかっこいい・言い訳になるというのは中学生の発想です。そして中学生がお金をもらって、夜ステージに立つことは法律で禁止されています。ね。


記事その2『違和感』


違和感を抱くことがあります。某さんとしゃべっているとき・・・



某「関西の●●さんってすごいよね」
ぼく「そうですね」
某「あんなふうになるのが最終目標だわ」
ぼく「でもキース・ジャレットよりはかなり下手ですよね」
某「そこは比べるところじゃないやん」
ぼく「え?」



まあぼくは本当はもう少しやわらかい言い方をしていますが、
「そこは比べるところではない」
これ、非常によく言われます。

何がどう比べられないのでしょうか???
いつも疑問なのです。

世界のトップと比較せずして誰と何を比較するのでしょう。

比較対象からはずしている時点でもう●●さんに失礼ではないでしょうか。

確かにクラシックの評論ではよく言われます。
「朝比奈隆のブルックナーは日本食だ」、と。
日本人向けにわかりやすくつくられたブルックナーだ、と。
だからチェリビダッケやカラヤンとは比べられない、と。

言うまでもなくこれは朝比奈隆を非難するためのレトリックです。
これと同じ論法を某さんは使っているように思えてならない。しかもなぜか逆の意味で。

いつもいつも世界のトップを意識して練習する。最先端でいようとする。パソコン関係、デザイナー、陸上選手、野球、水泳、企業、技術者・・・そういう人は非常に多いと思います。なぜかジャズ関係にはそういう人が少ない。少ない、というかこのあたり(大阪)では会ったことがありません。

ほどほどでいいのならジャズなどをやる必要はないのだと思います。好きなことを好きなようにやりたいのならプロを名乗る資格はありません。

もちろん何を持って世界のトップとするか、これは難しい話です。しかし少なくとも志を高く持つ、これは基本中の基本だと考えています。

関西のライブハウスはもちろん宣伝しますから出演ミュージシャンを「天才」「ジャズの真髄」なんて表現したりします。しかし現実はぼくも含めて全く違います。天才でもなければジャズの真髄からも程遠い。日本のトップ層ですらアメリカに行けば全く通用しないのですから。指が動かないのに「味のあるフレーズ」、なんの抑揚もないのに「貫禄のある落ち着いた演奏」なんて言われても・・・モノは言いようですなあ。しかし宣伝とはそういうものです。それを鵜呑みにする「ミュージシャン」が問題なのです(お客さんではない)。

営業妨害をしたいわけではありません。それどころかまずここを認識しなければ関西のジャズシーンはそのうち消えてなくなるでしょう。スタンダードジャズハンドブック(この本はジャズ界に多大な貢献をしたと同時に多大な害悪をまきちらした)をたずさえた人たちが適当にセッションをするだけの店ばかりになるかもしれません。

建設的な批判が飛び交い、ともに音楽を追求できる場・・・こういうものを近いうちにセッティングしたいと考えています。


続き・・・
「くらべられない」論についての反論とは矛盾するようですが、ジャズ雑誌などでは「え?それを同列に??」ということが多々あります。

服で考えてみましょう。ユニクロの服とシャネルの服をいっしょに論じる人はあまりいません。雑誌もすみわけがなされています。
車で考えてみましょう。軽自動車とベンツを同列に扱ったりはしません。もちろんデザインや小回りなど軽自動車特有の利点はたくさんありますが、基本的には圧倒的な差があります。
料理ではどうでしょうか。お金持ちのおじさん用の雑誌に近所の安い定食屋が紹介されることはまずありません(ぼくはB級グルメが大好きですが)。

ところが、ジャズ系の雑誌ではどうでしょうか。
宣伝とは実にありがたいものです。同時に非常に恐ろしい。





以上、ピアニスト パクヨンセさんのブログの記事から。
(ご本人から記事掲載の了解を得ております。)

聴き手の僕には、計り知れない演奏家のお立場からの率直なご意見、現状を知ることが出来ました。
とても貴重だと思いました。
「建設的な批判」・・・特に日本では?いろんな理由であまり直接されないことであろうと思われますが、どんどんされることを願います。
生意気ではありますが、僕は、
「まがいもの」に惑わされない聴き手に、
余計なもので迫など付けていない音楽家、「芸術」を世界レベルにストイックに追求し取り組まれておられる音楽家が、
どうか理解、評価される世の中につながればとせつに願います。

パクさん、ありがとうございます。

・・・管理人ローリー。
ピアニスト・パクヨンセさんg村山義光氏

[ 2009/12/31 01:59 ] 皆さんからの記事 | トラックバック(-) | コメント(-)